movin×K.I.T.虎ノ門大学院共催セミナー 三谷宏治氏コラム

ビジネスアーキテクト専攻 キャリアセミナー
8月6日(水) 19:00〜21:00

即戦力育成を目指すK.I.T.(金沢工業大学)虎ノ門大学院と弊社ムービンとの共催で、この度キャリアセミナーを開催することになりました。
このページでは、セミナー講師の一人である三谷宏治氏のコラムを掲載しております。
元トップコンサルタントならではの内容の深いコラムとなっておりますので、是非皆様ご覧下さい。
尚、セミナーの詳細はこちらよりご覧下さい。
三谷宏治氏コラム
時計に学ぶ

K.I.T.虎ノ門大学院 教授 三谷宏治(ビジネスアーキテクト専攻)

1グラム100万円の装飾具のマス広告

超絶技巧曲『ラ・カンパネッラ』の作曲者であるフランツ・リストは、自身、当代随一のピアノ奏者でもあった。彼の死後120年、未だにその演奏技術を超える者は居ないと言われるほどだ。
その彼の愛した時計が1839年創業のPATEK(パテック) PHILIPPE(フィリップ)。爾来、超絶的な腕時計製作技術による複雑時計(グランドコンプリケーション)を作り続け、至高のブランドの一つとなっている。

パテック・フィリップが生み出した最高峰の一つは『5002 Sky(スカイ) Moon(ムーン) Tourbillon(トゥールビヨン)』という手巻き時計で「トゥールビヨン」という特殊なエスケープメント(時間を刻む装置)に加えて、月齢や月の軌道表示、天体の表示機能が組み込まれる「天体観測に使用可能な」超複雑時計だ。
その一本(2003年製作)が昨年6月、米国のオークションに掛けられた。ついた価格はなんと約124万ドル(当時の為替で約1億5千万円)。
また、世界最古の時計メーカーであるBLANPAIN(ブランパン)がその創業年を冠した『1735』は、6大複雑機構*全てを一機に収めてこれも約9千万円とか。世界限定30本の代物(しろもの)だ。

男性が身に付けるモノとして、宝飾品を除けばこれほど高価なモノはないだろう。もし重量あたりで測るなら、その価格は家や車の比ではない。高騰を続ける金が1グラム3200円、1001馬力407km/hを誇るBugatti(ブガッティ) Veyron(ヴェイロン)が1グラム105円(GT-Rは4円)。それに対して、複雑時計は1グラム10万円を軽く超える。
腕時計という機能だけでその価格はありえないし、身を飾る装身具として考えても、もっと目立つ「服(スーツ)」や「革靴」の、数十倍以上もする理由は見あたらない。
日経ビジネスやら新聞の折り込みチラシを見ても、数百万円以上という非日常的な価格のスイス製腕時計が、毎週毎週、極めて日常的に宣伝(しかもマス広告)されている。

これは一体どうしたことか。
幾つかの、理由がある。

理由1:収益の上位集中

スイスの時計メーカーは一時、クォーツ化の波に乗り遅れて壊滅寸前まで追い込まれた。1970年代のことだ。しかしここでスイスメーカーは開き直って二つの方向へと進んだ。一つは機能でなくファッション性へ、もう一つは機械式での更なる高ブランド化へ。
ウォッチグループはその典型だ。低価格帯ではファッション性に優れたクォーツ式のSWATCH(スウォッチ)、高価格帯ではLONGINES(ロンジン)やRADO(ラドー)、超高価格帯では機械式のBREGUET(ブレゲ)や前述のBLANPAINを傘下に治める。07年度の売上高は5,900 億円でセイコーの連結売上高の3倍に迫る。

腕時計の世界市場を見ると、現在、日本勢は個数で全体の6割を握るが、売上高では2割のみに過ぎない。市場の7割以上は(一度は滅びかけた)スイス勢のものとなっている。
しかも、腕時計の世界市場の4割は、個数でたった3%以下に過ぎない「スイス製機械式時計」によって占められているのだ(筆者推定)。その平均生産価格は20万円余り。販売価格では40万円以上になる。メーカーにとっても流通にとっても、非常にマージンの高い商材だ。
腕時計産業の構造が、見えただろうか。

つまり腕時計産業は、価格帯での上位集中が相当に進んでいると言うことだ。
滅多に見かけない一個 数十万円の時計が、世界の腕時計産業を支えている。だから腕時計メーカーはそこに販促コストを掛ける。

しかし、なぜそれがマス広告なのか?

理由2:自尊の顧客ニーズ

高級腕時計の最大市場の一つである日本ですら、上代10万円以上の腕時計は年間50万個(スイス製がシェア9割以上)しか売れていない。上代40万円以上となれば10万個を切るだろう。
年間で人口1,000人に一人以下しか買わないものを、なぜメーカーや流通はマス広告するのだろうか。全く以て非効率なこと極まりない。

そこには強い顧客ニーズがある。
世の(一部の)大人たちは、なぜ数十万円、数百万円ものお金を腕時計に掛けるのだろう。

そこには「さりげなく、でも自慢したい」「その価値を知っている人にだけ分かって欲しい」という心理がある。『こだわりの認知欲求』と言えるかもしれない。
故に高級腕時計メーカー・ブランドは、マス広告を打つ。買う人向けにと言うより、それを見る人向けに。
もちろん決して、安っぽい宣伝はしない。買って貰うための宣伝でなく「買えないでしょうけれど凄いものなのよ」を示すための宣伝なのだから。

『こだわりの認知欲求』はマズローの欲求段階説では第4段階目の「自我(自尊=Esteem)の欲求」に当たる。3段階目までが安心・安全のためのものとすれば、ここからが自らの誇りや社会的存在価値のためのものだ。
たかが「モノ」ではあるが、宝石のような単なる希少性とは違う価値がそこにはある。スイスの職人たちの歴史と超絶技巧が詰め込まれた小宇宙。その価値を感じられ、かつ、それを互いに認め合うことの誇り。

市場とは、創るもの

これこそスイスの時計メーカーが創り上げた究極の「市場」だ。技術やモノによって裏付けられてはいるが、その高価格を支えているのはあくまでブランドや歴史と言ったイメージ。
新しいプレミアム市場を、これから日本のプレーヤーたちは、いくつ創り上げられるだろうか。<終>

* トゥールビヨン、ミニッツリピータ、永久カレンダー、ウルトラスリム、ムーンフェイズ、スピリットセコンドの6つ

三谷宏治氏の研究室のHPはこちらです。


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