本荘 修二氏
東京大学工学部を卒業後、ボストン・コンサルティング・グループに新卒入社。退社後ペンシルバニア大に留学しMBAを取得、帰国後に本荘事務所を設立。 CSK・セガグループにて会長付、米系ベンチャーキャピタルのアドバイザーを歴任。また、起業家精神とイノベーションの研究成果を国内外で発表されています。
(インタビュー当時のご経歴となっております。)
movin'
本日はお忙しいところお時間頂きましてありがとうございます。さて早速ですが、D2E2に来られるまでの経緯を伺わせてください。
本荘 修二氏
CSK・セガグループの大川会長の下で働いた後、3年ほどベンチャー企業のコンサルティングや米国の投資会社の日本側アドバイザー、また欧米のソフトウェア関連会社を主として、彼らの日本へのエントリー・展開のサポートをしてきました。
そういった仕事をする中、周りのグレイヘアーの方々が、「本荘くん、今日本のベンチャーはメタメタだろう。ベンチャーの応援団をやるのも良いが、君の年齢だったらベンチャーをする側に回ったらどうだ?」というアドバイスをくれたのです。実の所、私もそう感じていたので、それでは応援団から応援される側に回ろうということでD2E2に来ました。
movin'
御社のどういった点に魅力を感じられたのですか?
本荘 修二氏
色々選択肢があった中、なぜD2E2かというと、"人間"と"直感"ですね。
結局ベンチャーを自分で作るのでなければ、社長とうまが合わず喧嘩してしまうような会社では話になりません。その点この会社は、社長はもちろんのこと、それ以外にもナイスピープルが集まっています。また、感覚的な話になってしまいますが、何かをこの会社に感じたのです。ですから決めるときは早かったですよ、さくっと決めましたね。(笑)
movin'
D2E2のビジネスにどういった魅力を感じられたのでしょうか?
本荘 修二氏
私が以前からコンテンツビジネスに関し感じていたのは、NHKがひょっこりひょうたん島を含めた様々なコンテンツを消してしまったことに象徴されるように、日本人はコンテンツを軽視する傾向があるのと、ソフトウェアにお金を払う気持ちが小さいという根深い問題があるのではないかという事です。
ただ、情報化というものをマクロで捉えてみれば、たとえCPUが強くなったとしても、情報伝送速度が速くなったとしても、そういったハードな部分はあまり関係なく、そこで何を表現するかということが大切になってきます。まあ、要するにコンテンツですね。
EMC※のCEOも最近よく「これからはコンテンツの時代だ」と言っていますが、ハードディスクベンダーやストレージーベンダーという、これまでハードを扱ってきた会社がこういう事を言っている位ですから、やはりコンテンツが重要な時代なのですね。
ブロードバンドというのは、単にコンテンツを配信する媒体の一つでしかありませんが、通信の仕組みが変わり、世の中がネットワーク化されていく過渡期にある中で、D2E2のビジネスはその辺がちょうどツボにはまっていると思った訳です。
※EMC:ハードディスク等コンピュータ記憶装置のメーカー
movin'
本荘さんは御社でどんな役割を担い、どんなお仕事を手掛けていらっしゃるのでしょうか?
本荘 修二氏
一人八役ですね。言い方を変えると高等小間使いとでも言いましょうか(笑)。
私はプログラムを書けないので、それ以外のところで価値を発揮するのが私の役目だと思っています。これだけ色々なことをやらなければいけないと「知力・体力・経験」が非常に物を言いますね。
movin'
今おっしゃった"経験"とはコンサルタントとしての経験ですか?
本荘 修二氏
コンサルタントとしての経験ではなく実業経験です。
例えばコンサルタントに若干近いのではないかとも言われているベンチャーキャピタル業界、特にアメリカでは「コンサル会社に10年以上いた人間は採用のときには非常に注意をしろ」と言われている。なぜなら現場感がないから。というのは、やはりそのPLに責任をもち、しかもキャッシュフローをみて経営しなければ話にならないのですが、コンサルを10年もやるとそこが狂ってきてしまうようです。
これは日本でもそうとう証明されてきていると思うのですが、コンサルタント会社出身の人間がベンチャー企業にかなり流れ込んでいますが、入った会社の順番に経営が傾いたり、破綻したりしているケースも結構あるじゃないですか(笑)。
movin'
なかなかその"make it happen" っていうのですかね、それをするところで皆さんつまずいているのでしょうか?
本荘 修二氏
う~ん、おそらく色々な意味でのバランス感覚やお金に対する嗅覚、あるいは人とのリレーションやトラストビルディングの感覚が問題なのだと思います。
私もこれまでの実業経験で、ほとんど売れない商品を売り歩いたことがありますけれど、それにはコンサルティングのスキルが活きたかというと、ほとんど・全く・全然関係ないですね(笑)。コンサルの経験が活きたのは"忍耐力"だけでしたね。
movin'
コンサルティングでよく言われる、いわゆる仮説を構築して…。
本荘 修二氏
商売というのは全くそんなものではないです! 現実は全く別世界ですよ。だって、売れないものを売るのですよ。
まあ、そういう意味ではコンサルのセールスをやったら、僕も売れないものを売る技術が身に付いたかもしんないですけれどね(笑)。
movin'
よくコンサル業界を目指される方で"将来経営者になりたいから"ということでコンサルタントを目指される方がいらっしゃいますが、それに関してはいかがお考えでしょうか?
本荘 修二氏
ビッグプラスですね。説明はしにくいのですが、そもそもコンサルタントってコンサルしか務まらないコンサルタントと、実業に戻れるコンサルタントの2種類がいるのです。
movin'
それはさきほどのバランス感覚を"持つ・持たない"という話ですか?
本荘 修二氏
それもありますし、人柄もあります。どうしても向き不向きはありますよね。
アメリカでも一時期リエンジニアリングが流行ったときに、ストラテジーコンサルティングとオペレイショナルコンサルティングという2つのカルチャーが出来て大変もめましたが、このようにコンサルの中でもタイプが分かれてくる位なので、いわんや実業VSコンサルになればもっと距離があります。
movin'
それではコンサル時代の経験やその頃得た教訓では、どういった事が役立っているのでしょうか?
本荘 修二氏
"洞察力"と"お話上手"・"聞き上手"ということです。あとは先程も言った"忍耐力"ですかね。
洞察力ということで言えば、例えば私はお客さんとのミーティングに出て、何人かの人が色々と話をしているのを横で聞きながら、この人本当は何を考えているのか?とか、この出来事の裏にはどういうことがあるのか?とか、そういうことをずっと観察するトレーニングを積んできました。ただ、これはコンサルタントの中でもかなり個人差があり、ほとんど洞察力を持たないコンサルタントもいっぱいいますよ。
あと"聞き上手"ということで言えば、そういうことが上手なコンサルタントもいれば、メディアによく登場する某有名コンサルタントみたいに一方的に話しまくる人もいますよね。
movin'
なるほど。今後は事業をどうして行きたいとか、どんな人と一緒に働いてみたいといったお考えを聞かせて下さい。
本荘 修二氏
今後は、企業規模ではまずは業界第3位になるとともに、今の組織をもっともっとマーケティング志向の組織に変革していきたいと思いますので、チェンジリーダーとして自分で企画を立てて、それを着実に推進できるパワーのある人にとても興味を感じます。
このような資質を持っていて、かつ戦略などのコンサルタントして2年以上の実務経験、もしくはプロマネ経験がある方なら、今後会社をより強い会社に変革していくための戦略立案と実行のリーディングや、アライアンス、海外進出などの企画・推進を担って頂きたいと思っています。
movin'
みたいですね。(笑)
本荘 修二氏
コンサルティングのやり方は、かなり人のタイプによるのではないかと思いますね。
あとは忍耐力という意味では、ぐりぐり詰めていくってことですかね
movin'
ぐりぐり詰める…、ですか?それはぎりぎりまで頭を使うという事なのでしょうか?
本荘 修二氏
完成度を高めるとか、あきらめないとか、高品質を追求していく粘り強さですかね。あと、大量の情報を短時間で処理すること。
movin'
逆にコンサルの経験が実業ではネックになってしまう事はありますか?
本荘 修二氏
"お前コンサルタントやってたんだってな~"と色眼鏡で見られること。あとは、コンサルタントをやっていると、机上の空論が多くなりますね、自分は気をつけていたのでそんなには陥らなかったかもしれませんが。
"自分はよく分かっている"という錯覚をもち、自分自身を過信してしまう場合も多いですね。それでベンチャー会社の何社かが駄目になってしまったわけですよね。
あとは、金銭感覚が狂うことです。僕は別に貧乏症とかではないのですが、コンサル会社にいるのとベンチャー会社にいるのとでは経費の使い方がまったく違うのですよ。金銭感覚狂っちゃってるコンサルって結構いますよ。
movin'
本荘さんは何故コンサルを選んだのでしょうか?
本荘 修二氏
私は大学卒業後しばらくプータローしていたのですが、やはり"プータローしてちゃ駄目だ!定職に就こう!"ということで職を探し始めたのです。
で、なぜコンサルタントを選んだのかというと非常に単純で、そのとき米国の大学が進めていたアントレプレナーシップの国際比較スタディーを手弁当でやっていたのですが、その時声をかけていただいた現在早稲田大学の教授の大江先生が"ん~、トレーニングのためにはブーズアレン(現ブーズ・アンド・カンパニー)とかBCGとかそういうとこはあるよ"と教えてくれたのです。そこで早速"104"に電話をして"都内にこういう会社があると思うので電話番号を教えて下さい。"と言って探したのですよ(笑)。結果、BCGが採ってくれました
movin'
随分簡単な決め方だったのですね(笑)。またそれで入れてしまう所もすごいですね。ちなみに、アントレプレナーシップのスタディーでは、どのような活動をされていたのですか?大学を卒業されてからですか?
本荘 修二氏
卒業してからです。
経緯を話しますと、その当時ペンシルバニア大学のアントレプレナーシップセンターの所長をされていたイアン・マクミランという先生がいるのですが、この方がニューヨーク大学にいたときに、アントレプレナーシップの世界的な調査を行われていたのです。
そして、その調査の日本のパートに、先程の大江先生が取り組まれていたのですが、当時の日本ではアントレプレナーシップなんて一文の得にもならないトピックで、誰も相手にしてくれなかったそうなのです。そして、マクミラン先生が途方にくれていた時に大江さんに話が行き、ひょんな事から私が網にかかってしまった訳です。(笑)
ただ、やってみるとなかなかおもしろくて、これがきっかけで他のコンサルタント二人と「せっかく面白いことが出来たのだから継続しよう!」ということで、"社内起業研究会"を一緒に作ったのです。社会的な事はBCGよりも"社内起業研究会"で学びましたね。色々な会社の方が来ていましたので、そこのメンバーの方にずいぶん仕込まれました。
movin'
どんな方がメンバーだったのですか?
本荘 修二氏
鹿島建設、住友金属鉱山、川崎製鉄等々の、日本のブルーチップ企業の方々がいっぱい集まっていました。このようなBCG以外の活動も並行して持っていたというのは大きかったですね。このために会社どっぷりでコンサルに洗脳された人間にはならなかったのだと思います。
movin'
当時コンサルタントへの就職以外の選択肢はお持ちだったのでしょうか
本荘 修二氏
選択肢は山ほどありましたね。そのままフリーターで過ごすというのも考えていましたし。
そういう話であれば、私は学部生だった頃、工学部の金属材料学科に所属していたのですが、そこでの就職先の決め方はすごく面白かったですね。
ある日先生に教室に呼ばれると、そこに会社の名前が紙にたくさん書かれていて、"一週間以内に入りたい会社の下に名前を書きなさい"と言われたのです。で、一週間後にまた集まると紙に数字が書いてあり、"この数字以内の人数だったら即決定、人数が多かったらじゃんけんや話し合い等をして公平な形で決めなさい"と言われましたね。
movin'
ホントですか!?
本荘 修二氏
ええ、伝統のある学科なのでそういう形なようです。"東大工学部の優秀な人材は偏ってはいけないから配給しよう"という発想なのかもしれません。"コーポレートジャパン"にちゃんと配分するというね。
その頃感じていたのは、例えば金属業界でエリート企業といえば新日鉄ですが、調べてみると社長は法学部出身者ばかりなのですよ。"なんだこれは?"と思いましたね。そしてさらに調べてみると、どうやら日本の技術者は虐げられているということがわかりました。何かおかしいのではないかと思いましたね。
だから、エンジニアでやるよりは、エンジニアのR&Dのマネジメントを根本的に変えなければいけないと当時思っていたわけですよ。こういうこともコンサルタントへの道を選ばせた理由かもしれませんね。
movin'
コンサルタント時代はどのようなプロジェクトをご経験されてこられたのでしょうか?
本荘 修二氏
私がいた頃はまだまだコンサルファームの認知度が低く、大きなプロジェクトの受注は少なかったのです。だから、プロジェクトは短期の物が多かったですね。
いい経験したなと思ったプロジェクトは、コンサルティングの内容自体もさることながら、潰れそうな会社に入った事ですね。そこで会社がごたごたしているのを横で見ることが出来たのはいい経験でした。あとは、今で言うリエンジニアリング的なお仕事を現場に密着して行いました。あれは非常に血となり肉となりましたね。
20代なんて若すぎて何もわからないにもかかわらず、自分よりも一回りも二回りも年配のお客さんたちをまとめて、プロジェクトチームを何個か回していたわけですよ。今から考えると非常に良い経験でしたね。ただ、その頃は本当にまいりましたね。もう毎日ヘロヘロ。さらにヘロヘロになっている所はお客さんに見せられないのでさらに大変でした。そういう意味では修羅場というか、大変な局面を何回も経験して踏ん張ってこられたというのは一番良かったのだと思います。毎日がチャレンジでした。
movin'
BCGを辞めたのはどのような理由なのでしょうか?
本荘 修二氏
私はBCGに入社する以前から"留学します"と言っていましたので、計画通り辞めました。実は3年半で留学しようと思っていたのですが、忙しくて留学の準備をする時間が取れず、結局一年間延期しました。
movin'
なぜ留学しようとお考えだったのでしょうか?
本荘 修二氏
先程お話したペンシルバニア大学の先生のサーベイ等を手伝っていた影響なのでしょうか、日本にずっといるのではなく、世界を見てみたいという気持ちが大きく膨らんでいたのですね。
movin'
留学後はどういった活動をされてこられたのでしょうか?
本荘 修二氏
大学院が終わった後、すぐには帰国せずアメリカで就職し、コンピューターサイエンスコーポレーションに入りました。私は帰国子女ではないので、たかだか1年数ヶ月アメリカの学校にいただけで日本に戻るのでは、英語も含めて全部失ってしまうのではないかと考えたのです。
ここの日本人採用は私が最初だったのですが、非常にキツかったですね。とにかく何がキツかったかというと英語です。英語でアメリカ人のお客さん、アメリカ人のスタッフの中で仕事する、これは本当に地獄のようでしたね。
しかも、特にコミュニケーションが重要なリエンジニアリングを私は手掛けていたので、死にそうでしたね。もう思い出したくも無いです。(笑)
movin'
現在、仕事以外で何か取り組んでいる活動はございますか?
本荘 修二氏
年末(2001年)にアスペクト社より"IT情報の虚と実"という本が発売されるのですが、それを現在執筆中で非常に忙しいです。おそらくこの本はそんなに部数は出ないと思いますが、すごい本ですよ。
movin'
と、いいますと?
本荘 修二氏
詳しい内容はぜひ読んでみていただきたいのですが、ITビジネスに関わる方はもとより、今世の中でITに触れないような人っていませんけど、そういう方が手軽に読めてためになる本です。今まで知らなかったことが必ず書いてあると思います。
movin'
本荘さんのストレス解消法はどのようなものでしょうか?
本荘 修二氏
あえて言うならば"ストレスをためないこと"でしょうか。(笑)
私はそのために、一生懸命やりたくなるような事を意識して見つけるようにしています。やりたくないのに仕事をさせられているからストレスたまるのですよ。
ただこれは難しい質問で、本を書くことはある面ではストレス解消法なのですが、違う面では、本を作る過程においてストレスで肩が凝ってしまうのです。これがジレンマで、ストレスを解消しようとすればするほど肩が凝るのですよ。(笑)
movin'
座右の銘を何かお持ちですか?
本荘 修二氏
特に無いですね。
まあ、座右の銘では無いのですが、BCGに勤めている知人から"本荘は人が良すぎるからな"とかよく言われるのです。だから"お人よしのどこが悪いんや!"、ってとこですかね。(笑)
movin'
本荘さんが感じているミッションとは?
本荘 修二氏
ミッション1は"movin'に良いお客さんを紹介する"、ミッション2は"movin'から紹介していただいた方をどんどん採用する"ですかね。(笑)
まあ、これは冗談として、僕自身のミッションと言うものはきちんと考えたことはありませんが、職業選択としては「結果が分かっていることは面白くないからやりたくない」というのがありますね。
そういう意味だと、"自分しかできない"、"自分がやらずして他に誰がやるのか?"ということをメインに持っていこうということです。私以外の誰かが出来るのなら、その人にやってもらいたい。そのときに私はいらないですから。別に世直しをする気は全然ないのですが。あとは、10数年アントレプレナーシップの研究等に関わっているので、これはずっと何らかの形でやって行くのだと思います。
movin'
ぜひこれはお伺いしたいのですが、そもそもどういうきっかけでアントレプレナーシップにご興味をもたれたのでしょうか?
本荘 修二氏
自己分析をしてみると、どうやら学生時代にインディーズバンドのマネージャーをやっていた経験がそこに結びついているのではないかと思います。
要は、"良いものを持っているのだけど埋もれている"とか、原石というかポテンシャルを持っている物をバックアップし花を咲かせる事が好きなのです。まあ、"花咲かじいさん"みたいなものですよ。(笑)
movin'
そうすると、ベンチャーキャピタル等にもご興味をもたれているのでしょうか?
本荘 修二氏
選択肢の一つではありますが、現在のベンチャーキャピタルには疑問を感じますね。ベンチャーキャピタルをやりたい人が山ほど出てきていて、ベンチャーやりたい人よりも多いのです。根本的に何かおかしいですよね。
movin'
今後はどんなビジネスを展開していきたいとお考えなのでしょうか?
本荘 修二氏
別に見栄をはりたいわけじゃないですけれども、日本の遅れたベンチャーコミュニティの中で、覇を見せることができるような会社をつくりたいですね。ビジネスとしてお客様も皆ハッピーになれるような、一つのモデルケースが作れればと思っています。
movin'
全く関係ない話で恐縮ですが、もし人生をやり直せるとしたら、何をしていると思いますか?
本荘 修二氏
「やくざな音楽プロモーター」かな(笑)。バンドのマネージャーをやっていた頃からやり直してみたいですね。
movin'
それでは最後に、キャリアチェンジをお考えの戦略コンサルの方へなにかアドバイスがありましたらお願いします。
本荘 修二氏
コンサルタントからキャリアチェンジしたい方へは、"トレードオフを考えなさい"と言いたいですね。要するに、今の給料をキープ、若しくはそれ以上もらって他の職業に就こうとしたら、ほとんどオプションは無いのです。そういうところで悩んでしまうコンサルタントは結構多いのですよ。
ですから、トレードオフを考え、自分の中で優先順位をつける事です。"戦略とは捨てることなり"ですね。
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