マッキンゼー・アンド・カンパニーは、1920年代なかばに会計士だったジェームズ・O・マッキンゼーによって創立された。そのとき、事務所に掲げられたのは、「ジェームズ・O・マッキンゼー・アンド・カンパニー会計士・経営工学士事務所」という看板だった。
?1889年にミズーリ州ギャマで貧しい農家の息子として生まれたジェームズ・マッキンゼーは、幼いころから数字に強く、人に何かを教えることに並々ならぬ情熱を抱いていた。教育学の学士号からはじまって、生涯を通して哲学士、法学士、会計学士・修士など数多くの学位を取得している。
?そのなかでもとりわけ会計学がジェームズ・マッキンゼーの心をとらえた。彼はシカゴ大学で会計学の修士号を取得したあと会計事務所に勤め、のちにはアメリカ会計学大学教師協会の副会長まで務めている。
?マッキンゼーには、「企業の秘密は会計にあらわれている」という確信と、「企業が抱える問題を必ず解決してみせる」という自信があった。マッキンゼーの創立は、彼自身の確信と自信を体現したものだったのだ。
?当時、企業の会計は単に「過去の記録」としか見なされていなかった。マッキンゼーはこれを「未来の指針」に変えたのだ。帳簿にあらわれた数字から企業が現在抱える問題と今後とるべき経営方針が明らかになる。これがマッキンゼーの基本的な考えだった。
?事実に即して厳密に分析をおこなうマッキンゼーの手法は、非常に斬新なものとして社会で受け止められた。マッキンゼーがビジネスをはじめた当初、企業の予算編成は分析に基づいてなされてはいなかった。会計士がすべての経理を集約して、当てずっぽうに販売予測を立てていたのだ。マッキンゼーは会計手法によってこれを覆そうとしたのだった。
マッキンゼーが創立された当時、アメリカ経済は好況を呈していた。19世紀なかば以降、各地で鉄道が建設されると同時に電報が普及したことにより、ビジネスの規模は飛躍的に拡大、アメリカは大英帝国をしのぐ世界最大の工業国になっていた。
?1895年から1904年にかけての10年で企業間でさかんに合併が行われるようになり、それまで存在したことのない巨大で複雑な企業組織が生まれた。以前、企業はオーナーによって経営され、主に一つの商品を扱っていたが、20世紀を境にこれが変化した。すなわち、オーナーに雇われた職業経営者が登場し、扱う製品の種類も増えていったのだ。
?職業経営者はオーナー経営者と異なり、「最新の経営手法を取り入れている」「業績を上げている」ということを常に周囲に示さなければならないプレッシャーにさらされていた。GM(ゼネラルモーターズ)の伝説的人物で会長を務めたアルフレッド・P・スローンは、非オーナー経営者として初めて経営手腕で有名になった。彼は事業部をセグメント化することで、動きの遅いフォード・モーターを追い抜くだけのスピードを獲得した。設立まもないマッキンゼーにとってスローンのような職業経営者は典型的なクライアントだった。
?GE(ゼネラル・エレクトリック)、スタンダード・オイル、USスチールなど、当時を代表する大企業が、従来の一元集中的な管理・運営から、部門別・地域別にセグメント化して管理・運営する手法に乗り換えていった。このアメリカ経済における大きなパラダイムシフトが、ジェームズ・マッキンゼーにとってはまたとないビジネスチャンスとなった。
?さらに1929年に世界を襲った大恐慌も、マッキンゼーにとっては追い風となった。設立まもないマッキンゼー・アンド・カンパニーは、大恐慌により加速した企業の再編成、合併・買収のためのシナリオ分析にたずさわることで、ビジネスを拡大していったのだ。
1937年にジェームズ・マッキンゼーが48歳で肺炎により亡くなると、マッキンゼー・アンド・カンパニーは1933年に入社していたマーヴィン・バウワーに引き継がれることになる。
?ジェームズ・マッキンゼーが会計のキャリアを持っていたのに対して、バウワーは法律関係のキャリアを積んだ人物だった。1903年にオハイオ州シンシナティで生まれたバウワーは、ブラウン大学で経済学と心理学の学位を取得したあと、1925年にはハーバード・ロースクールに入学しクリーブランドに事務所をかまえる一流法律事務所「ジョーンズ・デイ法律事務所」に就職している。
?しかし、若きバウワーにとって法律文書の作成が主な業務である法律事務所での仕事は退屈に感じられた。自分の好きなように仕事をさせてくれる職場で働きたいと願ったバウワーは、ハーバード・ビジネススクールの教授を通してたまたま知り合ったジェームズ・マッキンゼーと意気投合し、1933年にマッキンゼー・アンド・カンパニーに入社していた。
?ジェームズ・マッキンゼーの後継者となったマーヴィン・バウワーの夢は、コンサルタントを、医者や弁護士、牧師といった専門職と同じように人々から敬意を払われるような立派な職業に変えることだった。当時、コンサルタントという職業は「いかがわしいもの」として見られる傾向があった。
「(コンサルタントは)医者や聖職者と同じではないが、(中略)独特のやり方でクライアントに奉仕するために存在する」というのが、バウワーが生涯を通じて守り抜いた哲学だった。この哲学に則って、バウワーはコンサルタントがクライアントから全幅の信頼を得るにふさわしい「用語」「服装」「ふるまい」「容姿」に関する基準、現在にいたる「マッキンゼー・ウェイ」を詳細に定め、社員に守らせた。
?バウワーは、1967年に64歳で引退したが、2003年に99歳で亡くなるまで、長年にわたりマッキンゼーの魂であり、精神的支柱でありつづけた。
2013年 9月17日
ダイヤモンド・オンライン
マッキンゼー・アンド・カンパニーに関するニュースをお伝えします。どう動いているのかをWatchすることで、今後の動きを展望することができるはずです。 マッキンゼー・アンド・カンパニー関連ニュース
アクセンチュア(戦略グループ)Accenture
アーサー・D・リトルArthur D. Little
A.T. カーニーA.T. Kearney
ベイン・アンド・カンパニーBain & Company
PwCコンサルティング・ストラテジー(旧ブーズ)PwC Strategy&
ボストン コンサルティング グループThe Boston Consulting Group
コーポレイト ディレクションCorporate Directions, Inc.
ドリームインキュベータDream Incubator Inc.
マッキンゼー・アンド・カンパニーMcKinsey & Company
モニターデロイト(デロイト戦略グループ)Monitor Deloitte
ローランド・ベルガーRoland Berger
P&EディレクションズP&E Directions
ムービンでは今すぐのご転職でなくても、今後のキャリア形成や、ご転職に向けての中長期的なプランを共に考え、具体的なアドバイスをさせて頂いております。コンサルティング業界にご興味のある方はご自身では気づかれない可能性を見つけるためにも是非一度ご相談ください。
PICKUP
20年以上にわたりコンサル業界に特化したご転職支援を行っています。スタッフも少数精鋭でホンモノの人脈・情報を有しております。
コンサルティングファームはもちろん、国内・外資の大手事業会社をはじめ、ファンド、投資銀行、ベンチャーなど様々な支援実績がございます。
コンサル業界専門だからこそ各コンサルティングファームの圧倒的な情報量を保有しており、戦略系、総合系(BIG4)、IT、人事など外資系日系を問わず、国内大手の有力ファームすべてがクライアント
ムービングループサイト
株式会社ムービン・ストラテジック・キャリア
Copyright (c) Movin Strategic Career Co., Ltd. All rights reserved.
バックグラウンド・出身業界
で探すコンサル転職CAREER PATTERN
Copyright (c) Movin Strategic Career Co., Ltd. All rights reserved.